aya-kobayashi-manita 's 翻訳 Try It !

朝倉彫塑館にて(谷中で、まるで猫のように。)

「吾輩は猫である。名前はまだない。

 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。ー彼の掌に載せられてス―と持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌で少し落ち付いて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始めであろう。

ー吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合わせる事がない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に入ったきりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、彼はよく昼寝をしている事がある、時々読みかけてある本の上に涎をたらしている。

ー大飯を食った後でタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろける。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実に楽なものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。」

ー『吾輩は猫である。』(1905)夏目漱石、(青空文庫)より抜粋。


猫(ねこ)・・・広くはネコ目(食肉類)ネコ科の哺乳類のうち小形のものの総称。エジプト時代からネズミ害対策としてリビアネコ(ヨーロッパヤマネコ)を飼育、家畜化したとされ、当時神聖視された。現在では愛玩用。在来種の和ネコは、奈良時代に中国から渡来したとされる。(『広辞苑』より)


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 昨年3月、まだ、桜は咲いていないが、季節は、真冬を抜け出し、確実にゆるゆるとした気温の上昇と共に春に向かっている、そのような季節・・・我が家の庭にのらくらとよくやってくる、黒と白の毛が入り混じった猫で、人の家の割には鋭いまなざしをこちらに向け、庭を占拠しだす、生意気可愛い野良を思い出し、たまには猫のような気分も良いものかしれない、と。。。春眠暁を覚えず。。。そのような訳で、猫好きな彫刻家、朝倉文夫氏を思い出し、日暮里にある朝倉彫塑館へと出かけた。桜が咲いていれば、より更に絶好のお散歩日和だったであろう下町に、あまりにもさり気なく出てくる朝倉彫塑館だが、それでも、我ながら春の始まりにとても良い選択だったと思う。

 

 彫刻家、朝倉文夫(1883生)は、東京美術学校を卒業した1907年(明治40年)、24歳の時に、台東区谷中にアトリエと住居を構える。現在の、本人自身により『朝倉彫塑館』と命名された建物は、1935年(昭和10年)に完成。門下生を育成する、住まい兼、学校兼、制作の場、という、朝倉彫刻の殿堂のような場所だ。モダンな建物に、開放的な吹き抜けのアトリエが迎えてくれる入り口が、非常に圧倒的で斬新だ。大小様々な彫刻作品が、各々、悠々とした存在感で、伸び伸びと設置され、総ガラス張りの天井から差し込む春の眩いばかりの日の光は燦燦と降り注ぎ、それはとても優しくて、温かくて、心地よくて、自然と、今は昔の止まった時を想わずにはいられない。おそらく、希望と期待を胸にそれぞれ故郷を後にして集う若い門下生らと、日々切磋琢磨し合い、明日を夢見て充実した日々を送っていたのだろうか。どうしたって、当時の美学生らの熱情に、氏の浪漫を重ね合わさずにはいられない。

そう、そして、猫・・・。

そうだ、無類の猫好き作家、朝倉氏の生活を自由に想像してみよう。その視線は、おそらくほぼ毎日、学生らへとはまた違った意味で、いわゆる”猫”に注がれていたに違いない。毎日毎日、そこらへんの猫を追う。ニャーニャーといる猫たち。忙しくザワザワバタバタと毎日を生きる都会の人間達の、騒々しい営みを横目に、野良も飼い猫も、きっと、その様な人間のセカセカとした足元にぽっと差す幸せの日溜まりにくるまり、何の理由などもなくのんびりと日向ぼっこしていたのだろうか。まるで私まで、気まぐれで気楽で、お高く留まった猫のように、ニャーと泣いてみては、その場でゴロゴロとお昼寝してみたくなる・・・本当にそうできれば、どんなに気持ち良いだろうか!そう言っても過言ではないくらい、素敵な空間だ。


 図書ルームは、さほど広くはないのだが、目を見張る程の蔵書で埋め尽くされている。朝倉氏自身が読んだだけでなく、寄稿した記事なども集められているのだろうか、天井から足元まで、びっしりと整然に書物はしまわれ、氏の知識と好奇心の奥深さを感じさせると同時に、勿論?、意外と精緻で神経質だったのかなという面も伺える。


 図書ルームを通り抜けると、ハイカラは一変、今度は一気に和風の世界へ。立派な石の数々と池が佇む中庭をぐるりと囲むように、畳敷きの和室と、縁側が続き、それは突然、あたかも幕末の料亭にでもタイムスリップしたかのような気分にさせてくれる。広々とした吹き抜けの空間で、庭から差し込む太陽の光の下、創作活動に励んだ後に、心鎮めるには充分な和の静けさがそこにはあり、静と動のバランスが見事に隣り合っていた。高揚した神経に、池の水がもたらす涼が、否が応でも心地良い。


 そこから、二階の一部をいったん素通りし、屋上へと出る。そこには、朝倉氏独特の哲学により、生徒たちと共に広げた家庭菜園が残されていた。今では、揺れるオリーブの木の遠く向こうに、スカイツリーを臨む絶景。当時、まだ超高層ビル群などはなかったとはいえ、土をいじり、収穫に勤しみながら東京という都会を見渡す美学生達の胸中はいかがなものであっただろうか。生ぬるい春のそよ風に、束の間、自然と身を任せてみる。農作業で汗をかいた額を拭い、「頑張ってるなあ」と、自らに何か気持ちの良い賞でも与えてあげたくなるような、充足感のようなものを覚えたかもしれない。それは、決して、いわゆる偉そうで高飛車な成功者のそれではなく、あくまで、彫刻の道を追究し、合間、土に触れ、自給自足の作物に感謝する、そのような、自然の摂理、営みを継続すること、その中で育まれる、至って素朴で純粋な、清貧な満足かもしれない。

 すぐ下の室内に戻ると・・・果たして、今回の主たる目的である、探し求めた猫たちが・・・いた!様々な姿をした猫の彫刻の数々。朝倉氏が愛して止まなかった小動物・・・やはり燦燦と日が差し込むオランジェリーのような造りの空間に、ニャーニャーと、猫たちは、止まった時間の中、様々な恰好のまま、大切に大切にそこに保管されていた。このこたち、なんて素敵な猫生!時に朝倉氏の膝元に乗っては創作の邪魔をしてみたり、時にお茶を飲んでくつろぐ先生の周りを思わせぶりにうろうろ、そのままぷいとまた陽射しの中へ帰ってしまう、そんな小さな自由さが先生の心をつかんで離さなかったのだろう。それはまた、谷中という東京の下町にうってつけのスタイルでもあり、ひょっとしたら朝倉氏は、自分の理想を猫たちの中に見ていたのかもしれない・・・ここは、猫のような飄々とした散歩が似合う道が、また沢山ある町だからだ。


ーThe naming of cats is a difficult matter.

It isn't just one of your holiday games.

You may think at first I'm as mad as a hatter

When I tell you a cat must have THREE DIFFERENT NAMES.

ーthere's still one name left over

And that is the name that you never will guess

The name that no human research can discover

But the at himself knows, and will never confess.

When you notice a cat in profound meditation

The reason, I tell you, is always the same:

His mind is engaged in a rapt contemplation

Of the thought, of the thought, of the throught of his name

His ineffable effable

Effanineffable

Deep and inscrutable singular Name.

(ミュージカル『Cats』より。『The Naming Of cats』より抜粋。

music by Andrew Lloyd Webber, Lyrics by and  from T.S.Eliot "The Old Possum's Book of Practical Cats")

ー猫に名前を付けるのは、非常に難しい事だ。

ただ暇つぶしにやるお遊びのひとつとは、全く違う。

まず、あなた方は、私の事を 隠遁生活者のように変わり者なのかと、考えるだろう。

猫には、異なる三つの名前があると、言ったならば。

ー中略ー

ー最後にまだひとつ、隠された名前がある。

そして、それは、誰もが思いつきもしない名前

人間の調べ方では、決して発見できないような名前

ただ猫のみが知っている、だけど決して明かさない。

深い物思いにふけっている猫を見かけたならば、おしえてあげよう、その理由は、いつも同じ:

その猫の心は、恍惚とした瞑想に入り込んでいる

想い、想い、自分自身の名前への想い。

言葉には出来ない程の、言葉

言葉で言葉には出来ない

深く、計り知れない、特別過ぎる、名前。


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 さて、ノスタルジックな幸せの気分に浸りつつ、朝倉彫塑館を後にし、今度は、台東区も後援している古民家スペースのハギソウへ。


HAGISOは、築60年の木造アパートを改修した『最小文化複合施設』。1階は、簡単な展示スペースとカフェ、2階には、宿泊施設とショップ、事務所があるらしい。

外国人ファミリーも気楽に立ち寄り、老若男女、何かしたい、アートに触れたい、という志を集め伸ばしてゆくには、充分に満足する空間だった。区の協力を得て、今後成長してゆければとても有意義な時間を過ごせる、これからが非常に楽しみで注目したい施設だと思った。

このように、行政とアートと若さとお洒落が組み合わさると、また新しい東京の、しかも下町だからこその可能性が、見えて拓けてくると思う。同時に、古きを大切にし、収集・保存・再生し、そこから更に、新しきを産むという、関係性の連なりの有意義を実感。先人が過ごしてきた時間、残してきた遺産を継ぎ、理解し、解釈し、未来へと紡いでゆく、『今』の重要性。そのような感性を、行政がバックアップして、目に見える形にさせてもらえるのならば、本当に心強いではないか。安易な使い捨てがまかり通る現代において、是非、頑張ってほしいと期待。皆に愛される場所となってゆきますように。


 最後は、勿論、昔から続く谷中銀座の商店街へ。


古き良き昭和の面影を今に残すお店や建物が多く残り、非常に居心地が良い。皆、のんびりマイペースに休日の昼下がりをそぞろ歩きし、店を覗いたり、楽しんでいるようだ。


 もうすぐ、桜が咲く。その、少しの期待と希望、惜しむような寒さと、ささやかな暖かさ、湿度、そして迎える麗らかな陽気を前に、私も、こんな日は猫のように、スマホや地図など放り投げ、思うまま気の向くまま、ほんわりゆるゆる、歩いてみた。たまにはそれも悪くないだろう。素敵な一日の午後だった。


Well little lady, let me elucidate here.

Everybody wants to be a cat

Because a cat's the only cat

Who knows where it's at!

Tell me

Everybody's pickin' up on that feline beat

'Cause everything else is obsolete

A square with a horn

Makes you wish you weren't born

Ev'ry time he plays

But with a square in the act

You can set music back

To the caveman days

I've heard some corny birds who tried to sing

Still a cat's the only cat

Who knows how to swing!

Who wants to dig a long-haired gig

And stuff like that

When everybody wants to be a cat

Yes, everybody wants to be a cat

Because a cat's the only cat

Who knows where it's at!

When playing jazz

Who always has a welcome mat

'Cause everybody digs a swinging cat

Everybody, everybody, everybody wants to be a cat

Hallelujah!

Everybody, everybody, everybody wants to be a cat!

(映画『おしゃれキャット』より『Everybody wants to be a cat』

music by Al Rinker, Lyrics by Floyd Huddleston, 1970)


それでは、小さなお嬢さん、ここで説明申し上げましょう。

みんな、猫になりたいのさ。

猫は猫以外の何者でもないから。

猫のみぞ居場所を知る!

さあ、

みんな、その、猫のような音にノるのさ

他のは、もうどれも古臭いからさ。

ツノをもった堅物の奴らは

生れてこなきゃよかったなんて、思わせてくる。

奴らが演奏する度、

それはヤボでさ

音楽はすたれて逆戻り

粗野な時代までな

あるセンチな鳥が歌おうとしたのを聞いた事がある

それでも猫は猫さ

ノリ方を知っているのさ!

誰が長い髪の奴のセッションなんか聞きたがる?

そんな才能

みんなが猫になりたがってる時にさ

そうさ、みんな、猫になりたいのさ

猫は猫以外の何者でもないから

猫のみぞ居場所を知る!

ジャズをセッションする時

誰が「いらっしゃい」なんて毎回、敷物を用意しているのさ?

みんなは、スゥイングする猫を待っているのさ

みんな、みんな、みんな猫になりたいのさ

ハレルヤ!

みんな、みんな、みんな猫になりたいのさ!









aya-kobayashi-manita 's 翻訳 Try It ! ~pupils with heart~

こんにちは。学生時代、文化史と美術史を専攻した後(ロンドン留学含む)、美術館学芸業務補助を経て、カルチャースクール勤務。現在、在宅で翻訳の勉強中。主に、①芸術事の感想(展覧会、舞台、映画、小説など)、②英語で書かれた世界各国の美術館図録や美術評論、③英語圏の絵本や児童文学、文芸作品、④英語の歌詞、⑤趣味の朗読やよみきかせ、歌、⑥日常の散歩や旅行記、生活の一コマなど・・日英語で記してゆきたいです。

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