『プリンシプル』というもの
以前のブログから転載。
「プリンシプル」というもの。
2019-04-12 16:22:05
テーマ:ブログ
ちなみに、私は今、妊婦である。しかも高齢出産。だからこれ以上、私を怒らせたり憤慨させたり苛つかせたり、しかめ面させたり眉ひそめさせたり切れさせたり、しないでほしい。母は強いのである。子供にもしもの事があれば、鬼にもなる。怖いのである。(強い、怖いって・・・他人を威嚇したり好戦的に急に態度でかく我が物顔で女王気取りになるわけでもないよ。念のため。)だから、穏便に、私が張った『マタニティライフ楽しくゆっくりリラックスさせて過ごしたい』オーラを土足で踏みにじって勝手に入り込みちょっかいは出さないでもらいたい。
冗談ではなく、真剣な話しである。私と、子供と、主人と、私の家族と、私の子供を心待ちにしてくれている近隣の方達の命を是非思ってほしい。普段、慎ましやかに真面目に生きているんだ。このくらいの命乞いくらい我がままでも身勝手でもなんでもあるまい。
という前書きは・・・ただ私がヒステリーなわけでは決してない。それは、ここ2,3日のニュースが引き金となり、どうしたっていてもたってもいられなくなったからだ。
『就職氷河期世代に対する対策』・・・就職氷河期世代で亡霊のように虚しく社会を彷徨うアラフォーたちに愛の手を?へ~~~~~。
何々?職業訓練、正職員雇用への斡旋・・・などなど・・・?へ~~~~~~~~~~~。将来のこのロストジェネレーションたちの生活保障などを見据えて。だそうです。あっそ。
もうちょっと、心理的なサポートも加えてほしかったな。メンタルケア。ただでさえ自尊心ややる気こてんぱんに奪われてんだから、その上でまた、ただでさえ中堅どころ、中途採用、と、難しい立場で仕事するのだから、上からのプレッシャー、下からの押し上げ、等々の方々への教育や、氷河期世代の働き手の自信回復、などなど。将来、この世代が働けなくなって、というか自立仕切れないまま介護対象者などになったら大変だ、とか、今更そっちの心配からこっちの心配してくれるんでなくてさ。あんたたち、興味本位で人の尊厳つぶして社会から追い出そう追い出そうと散々あらさがしのみしてくれちゃって、何かひとつでも些細なミスしたら、ほれ見たことか生意気だ能力ないだ首だと、さんざん買い手市場の特権で殺してきといて。馬鹿だ貧乏くさいだ家庭も持ってないだ・・・エトセトラエトセトラ。すっかり悪者の嫌われ者ののけ者気分にさせられてんだからね。
・・・と、朝、主人に散々うっぷん晴らして、チョコレート一つでなだめられ、婦人科検診行ったら案の定血圧いつもより10も上がってて、赤ちゃんに悪影響いってないかとまた自己嫌悪やら心配やらして・・・この繰り返し。でも、お陰様で、赤ちゃん元気だって。今のところ女の子かもって。あら。あらあら。まんざらこのつまはじきの社会不適合者の生意気の精神叩き込まれてまた女の子生まれてきても、あ、これはこれでいーんじゃないかしら?とか思い返し始めたり。悪いけどまた私、女の子産みまーすみたいな。お腹の中にいるころからなんだか反骨精神すりこまれてまーす、みたいな。どーもどーも。すみませんね。でもね、何故だか負けた気はしていないのだよ。ふふふ。
さあ、文句はこれくらいにして。だって。勿論、私もこの世代ど真ん中。一応、就職活動したし、まんまと色々嫌な思い出ばっかりで10数年過ぎたよ。だけど、それがどした?あんたたち、誰?誰だっけ?私に何かした?え?ひょっとしてイジメ?イジメてきてたの?私の事?大の大人の社会人のあなたが??まさか!なぜ?なんで?なぜに?まさかね~。みたいなくらいな気分でも、ないことはない。だって、社会が不景気になって就職氷河期になる。これは、たまたま私達の世代にぶち当たったが、まあ、しょうがない。戦争だって起きれば、学生運動だって起きる。バブルに全く興味ない子がバブルに巻き込まれたり、頑なに真面目な子が肉食系の時代に巻き込まれる事もある。時代は、しょうがない。自然といっちゃあ自然?何が一番こたえるかというと、心ない周囲の言葉、目線、態度。頑張って頑張って私達をいじめようとけなしてくるように見えてしまう。
だけど、これから、令和になるし、東京オリンピックもあるし。平成は去る。平成・・・確かに、戦争は起きなかった。だけど、平和って、なんだろうと思わされてしまうくらい、皆、自分勝手な欲望さらけ出す時代でもあった気はするよ。好きなことを追求できるということ。それは、とても理想的で平和な証拠だろう。だけど、ひとりよがりでやりたいことやってよいのとは違う。当たり前だけど。社会の調和を育て保つよう自立し、仕事するのが、平和かと・・・??だけど、それが、平成では出来なかった。それに、自然災害。不況だって、自然災害のひとつかも?
「プリンシプル」こんな白州次郎の言葉を思い出してしまう。戦後、気づけば一瞬で隣で息をしていない母と父、住む家も着る服も食べる物もなく、そこにプリンシプルなど、どうやって子供達が身に付け、学べよう?とにかく、生きなければならない。生きたい。生きるためならなんだってする。そうやって、しかもアメリカ主導の憲法のもと、高度経済成長を果たし、崩れ・・・いつの間にか、心ある者は敗け去り、お金ある者が勝ち残り・・・??みたいに見えてきてしまうのです。
白州次郎だって、どだいお坊ちゃま生まれ育ち。(いわゆるお嬢ちゃまお坊ちゃまの言い分は聞いてもらえないものだ。大衆の言い分は聞けと大声張り上げられるのに。)だけど、白州次郎は、自分の立場ですべき事を全うしようとした。そして、日本のため、日本人のために、自分の仕事を残そうとした。その一つが「プリンシプル」という言葉。
それなのに、政治は今更だが「これやったらこうなっちゃったからじゃあ今度はこうしなきゃ」みたいな。軸が・・・筋が・・・土台が・・・フィロソフィーが・・・見えない・・・「だって、その前に自分のポジションが・・・選挙で勝ちたいし・・・」みたいな?政治を実験的に行うのは、国や国民を実験台にしているも同様なのに。口では「国のため、国民のため」と選挙カーから聞こえるけど。まあこんなのはもう喉枯れる程周知の事。
偶然かどうかわからないが、そんな戦後ではなく、戦前をはるかさかのぼり、日本国特有の文化成立に近い時代の万葉集から引用された今度の「令和」。その言葉が、ひとつのプリンシプルになるよう期待したい。
勿論、私だって、またもうひと踏ん張り。まあ、今回の「就職氷河期世代への対策」は、発端の理由はどうであれ(本当はどうでもよくないが)、私達世代の誤解を解く事となってくれれば嬉しい。(嬉しいも何も、当然だと言いたい。が。言われた事やられた事は、もう二度と戻らない。)何も「どうぞどうぞあなたのお席はこちらです。一生御守りしますからね~。今までごめんなさいね~。」みたいな態度期待してるんじゃないよ。そんな事されても、ますます、馬鹿にしてんのか、失礼だ、と、なっちゃうからね。叩かれたりしごかれたり、業務厳しかったりは、結構。私達を信頼して、伸ばそうとしてくれるんなら。偉そうになってしまったが、私たちも、期待に応えられるよう、今度こそ、頑張ってついてゆきたい。働きたくてうずうずくすぶっている人たちは山ほどいるはずだ。世代が違えば自分の方が能力上だと、豪語したい人達が山ほど亡霊となっているのは自負できると思う。
そして、私は、まずは、赤ちゃんを産まねば。産みたい。幸か不幸か、そんなこんなの平成すっとばさせて頂きました。新しい令和の時代に、生まれる子供達には、自由に伸び伸びと健やかな夢を見てもらいたい。「令和元年」という響きは、そのプリンシプルのひとつになりえるだろう。
母は、偉そうだが、責任だって、感じているよ。自分への責任。子供への責任。家族への責任。社会への責任・・・もう一言、言っていい?産めばいいってもんじゃないのよ。産むだけが女の能力じゃないのよ。まあ、これは女という人間がこの地球上に誕生して以来、勿論、当然の事で、え?今更何を説明しなきゃなんなかったの??って目をぱちくりさせちゃうくらいあほくさい当たり前の真実なんだけど!
・・・この辺で・・・。
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