aya-kobayashi-manita 's 翻訳 Try It !

女が男でも男が女でも 〜女が司教役演じてみた

・・・ー女が男でも男が女でも。司教がバルジャンでもバルジャンが司教でもー

という訳で、本当にふと思い立ち、言わずと知れた、ミュージカル レミゼラブルより一場面を歌ってみた。お相手は歌うまユーザーネームヒツジさんです。

私は、怒りっぽく、情緒不安定で神経質。すぐにネガティブになり、しかもそれらの感情を消化するのが下手。けっこう根に持つタイプだ。

ふと思い立ったのが、レミゼラブルの一場面、ジャンバルジャンがとある教会に迎え入れられ、そこの司教と運命の出会いを果たす場面だ。この司教、出番はこのシーンしかなくしかも本当にさらっと短い。が、改めて考えると、作品の、舞台の、観客の・・・総じて人間模様の縮図の、全ての代弁となる、非常に重要な場面なのだ。

パンひとつ盗んだ罪で19年もの間投獄され、ようやく仮釈放となるが世間の冷たい偏見に仕事にもろくな食事にもありつけず、人としての心を失うバルジャン。そこに救いの手を差し伸べる司教。司教は、バルジャンにパンとワインを提供し、寝床も貸す。が、バルジャンは司教の優しさをあざ笑うかのように高価な食器類を盗み逃げる。警察に捕まったバルジャンを「この食器類は私が譲ったものです」と、かばう司教。その上、より高価な銀の燭台を提供する事で、バルジャンを警察から自由にする。

私の推測では、この司教は、バルジャンはおそらく裏切り、盗みを働いて逃げるだろうと察していたのではないかと思う。司教とて、そんなおひとよしではない。それではなぜバルジャンを赦したか?それどころか、どうして警察に嘘をつき、法的に共犯とまでなったか。そこが私の学んでみたい点だったが、それは、きっと、司教がやはり希望を見たかったのではないかと思う。

「さて、我が兄弟」と司教は語りかける。「兄弟」つまり、自分はあなたと同類だと。私も罪ある人間で、いつあなたのように投獄される身になるか、いつ、盗みを働く身になるか知れない・・・と。私も神に背く要素のあるただのヒトだと。しかし、だから、日々告白し、神に赦しを求め、そして、人々を説く。司教は、聖職者として、希望をバルジャンに与え、自らも希望をバルジャンから受け取りたかったのではないだろうか。

その、優しさ、勇気、尊厳。私も少しは学びたいとなんとわなしに思いだし、男性が演じる司教を今回歌ってみたという訳だ。

いつ、どのタイミングで被害者とも加害者ともなり得るこの時代。この地球で、いつまでも人を赦し自分も赦されてゆく人間でいられるよう・・・おこがましいが、少しでも何か得られればと思い・・・。

是非、優しいお耳で聴いて頂ければ。

aya-kobayashi-manita 's 翻訳 Try It ! ~pupils with heart~

こんにちは。学生時代、文化史と美術史を専攻した後(ロンドン留学含む)、美術館学芸業務補助を経て、カルチャースクール勤務。現在、在宅で翻訳の勉強中。主に、①芸術事の感想(展覧会、舞台、映画、小説など)、②英語で書かれた世界各国の美術館図録や美術評論、③英語圏の絵本や児童文学、文芸作品、④英語の歌詞、⑤趣味の朗読やよみきかせ、歌、⑥日常の散歩や旅行記、生活の一コマなど・・日英語で記してゆきたいです。

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